社長、社員、バイトさん、派遣さんが入り交じっての交換日記?or 愚痴日記?
本屋さんに並ぶ本をフラフラと眺めていたら、鴻上尚史さんの「不死身の特攻兵」という本が目にとまりました。

鴻上尚史さんは作家であり演出家である方ですが、とある人生相談の連載が面白く、とても良い文章を書くなと思っておりましたので、本を読んでみることにしてみました。

これが読んでみてびっくりしたことばかりでした。
特攻隊として出撃させられ生還した方のお話です。そもそも鴻上さんは「特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た」という本をとおしてその方を知ったということです。さっそくこちらも読んでみました。

まず冒頭。

『私、大貫健一郎は昭和20年4月5日、鹿児島県の知覧飛行場から特攻機で沖縄の海に向かって飛び立ちましたが、待ち構えていた米軍のグラマン戦闘機に迎撃され、命からがら徳之島に不時着しました。その後、喜界島に渡ってどうにか食いつなぎ、50日後に陸軍の重爆撃機に乗せられて福岡へと戻ってきたのです。そこで代わりの特攻機が渡され、再び沖縄に突入するものと覚悟を決めていたのですが…実際には特攻機を渡されるどころか、特攻の帰還者は収容所に軟禁されてしましました』

その収容所で「軍人のクズ以上に人間のクズだ」「卑怯者」など暴言を浴びせられ、竹刀で滅多打ちにされるなどの暴行を受ける日々を送ったというのです。

お国のために死んだはずの人間が生きていたというのでは都合が悪い、軍の士気に関わるというので秘密裡にこんなひどい扱いを受けていたというのです。いやはや驚きました。

飛行機ごと敵艦に体当たりする「特攻」というやり方がそもそも成り立つはずがなく、腕の立つ操縦士ほどプライドを傷つけられ、納得できません。できるだけ接近して爆撃するのならともかく、その技術と命を放棄して体当たりとは、いったい何事か。葛藤を抱える若者たちの姿が実に切なく描かれています。
そして、戦中、戦後をとおして作られた、特攻隊はお国のため凛と飛び立ち勇敢に散っていったなどというイメージがいかに虚構だったか、生還した操縦士へのインタビューが生々しく証言しています。本当にこんなやり方がなんで許されたのか、誰がボスなのか、読み進めていくにつれ腹立たしさが増すばかりでした。

と、こんな感じで書き進めていったら原稿用紙3枚くらいはすぐに埋まってしまうので、子供の代わりに読書感想文を書こうかと思いますが、そうはいきません。

1945年8月の終戦から74年目の夏に、とても良い本に出会いました。平和が続きますように。

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無題
特攻隊関連の本は色々な角度から出版されてますよね。
百田尚樹氏の「永遠の0」もそのひとつで出版当時は戦争賛美だと
リベラルから結構叩かれてました。

どれが正しいかは人それぞれ判断すればよいのでしょうが
確実に言えるのはもう二度とあってはならないと言う事でしょう。
GM 2019/08/28(Wed)09:07:17 編集
無題
鴻上尚史のオールナイトニッポン聴いてたなぁ。
ターミヤ 2019/08/28(Wed)20:55:39 編集
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