今回は、竹田久保町(たけだくぼちょう)交差点を南下してみましょう。
(みなさん、覚えていますか?○○○○さまの母校のある附近です)
この道は、京都から奈良を経て和歌山に到る「国道24号線」
この辺りでは通称「竹田街道(たけだかいどう)」と呼ばれています。
800m程南下すると、ちょうど名神高速道路と立体交差します。
ここの名神高速道路南北2本の側道との交差点が、
「竹田出橋(たけだいでばし)」です。
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1969年に、
フォークグループ“赤い鳥”が歌って有名になった、“竹田の子守唄“をご存知でしょうか。
もともとは、このあたりの民謡で、編曲し歌われているのです。
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さらに南下していくと、その左右には、
“加賀(かが)屋敷町”
“仙石(せんごく)屋敷町”
“越後(えちご)屋敷町”
“柴田(しばた)屋敷町”
“出羽(でわ)屋敷町”
等々の町があります。
このあたりは、太閤・豊臣秀吉になる、「伏見城」城下の屋敷町であったところです。
(残念ながら、その痕跡はほとんどありませんが。)
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子供の頃、
この国道24号線(竹田街道)には、「市電」が走っておりました。
“伏見線”と呼ばれ、塩小路高倉(京都駅北側)付近と、中書島(京阪電車・中書島駅)を結んでおり、途中では伏見稲荷へ向かう“稲荷線“も分岐していました。
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ちょうど、近鉄京都線の高架に行き当たるところが、深草加賀屋敷町(ふかくさかがやしきちょう)交差点です。
その少し手前を東に伸びているのが「墨染(すみぞめ)通」
次回は、24号線から外れて、この道に入ったところから始めましょう。
To be continued